- 2009年6月 9日 17:30
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皆さんは裸の王様のお話を知っていると思います。
新しい服が大好きな王様の元に、二人組の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来る。彼らは何と、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。王様は大喜びで注文する。
仕事場に出来栄えを見に行った時、目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。
王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。
王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子供の一人が、こう叫ぶ。
「王様は裸だよ!」出典:Wikipedia
こういうことは実際にあり得ます。
このようにトップが間違っていることを言ったり、行動していることを
そのまま肯定することは、果たして組織の為になっているのでしょうか?
間違っていると指摘する者はバカだから
トップの言うことややっていることがわからないのでしょうか?
違うと思います。
間違っていることを指摘しないことは、
単なる保身に走っている無責任な迎合です。
歴史上の偉大な人物の側にも側近はいました。
最近まで流行っていたレッドクリフで有名な三国志などの史実、
時代劇の映画やドラマなどを観てもわかるとおり、
側近らはトップが間違っていることを言ったり、行動した場合、
トップに敬意を払いながらも、きちんと苦言を呈しています。
- トップが側近の言うことを全く聞かない組織
- No2やNo3の側近がトップに苦言を呈しない組織
これらは今も昔も滅んでいます。
間違っていると思っていても、肯定しているのは何故でしょうか?
- トップが言っているから正しいからでしょうか?
- トップについていけば間違いないからでしょうか?
本当にそうなのでしょうか?トップだって人間です。間違うこともあります。
間違った結果になったとき、トップだけを責めることは出来ません。
- 否定すると怒られるからでしょうか?
- 自分の立場が危うくなるからでしょうか?
- その場の空気が壊れるからでしょうか?
それは無責任で卑怯だと思います。自己保身に走ってます。
その場の空気を納めるためにYESと言って、
トップの機嫌を損ねないだけのために、自分は何も意見しない、
また、下の者に何も言わせないというのは、責任放棄です。
トップに苦言を呈することが出来るのは、組織のNo2やNo3です。
組織のNo2やNo3が言えなければ、それ以下の人間は誰も何も言えません。
そして、そんなNo2やNo3は誰も人間的に尊敬はしませんし、
仕事をしていく上で誰もついて行きたいとも思わないでしょう。
もちろん、それ以下のスタッフにも責任があるのは当然です。
と言うより、そもそも関わる全てのみんなに責任あるんですが・・・。
トップが裸の王様であることが、またトップを裸の王様にすることが、
会社のため、経営者のため、従業員のため、お客様のため、取引先のため、
社会のため、そして結局は自分や家族のためにならないのではないでしょうか?
トップが間違っている場合、最初から全否定せずに敬意を払って、
きちんと根拠と対案を出していけば、納得するのではないでしょうか?
裸の王様を作ったところで、本当に価値がありますか?
トップにきちんと意見を言うことが、No2やNo3の仕事でもあると思います。
言っているつもりでは意味無いです。

